一花の追悔、灼火語らず


 
 
 
 
 
 
 

 
 永遠の死が、永遠の願い。
 叶わぬ死が、叶わぬ願い。

 
 
 
 
 
 
 
 

 
「そうですか……貴女はそうして、悔やみ切れずにこの幻想郷の最果て、最下層とも言うべき地霊殿の、この広間へとやってきたのですね。
 ――辿り着いて早々、死にたい、ですか。残念ながらこの大広間は、懺悔をする場所でも願いを叶える場所でも天に祈りを捧げる場所でもないのです。――何故私の心がわかるのか、ですか。その疑問も、諦念も、苦渋も、感情も、全て私にはわかるのです。……ええ、私は心が読める。『覚』と、人は呼びます。私の名前など、この際問題にならないでしょう。貴女の心に渦巻く、複雑怪奇に絡み合ったどす黒い澱のような負の感情に比べたら、そんな些細なことなど、太陽の前の塵のようなもの。塵は一瞬で燃えてしまいますが、それが燃えたかどうかなど、小さすぎてわからないのです。……まあ、太陽などに比べたら、私達妖とて塵も同然でしょうが。
 そもそも貴女は、私に代弁して欲しくてここへ辿り着いたのではないですか? 同じ境遇永遠の命を持った者もいなくなった世界に絶望して、しかしそれを語る者もおらず、訪れた孤独に遂に耐え切れず――――違う? 何が違うのです? 私には、貴女の心が、心情が、感情が、全てがわかると言ったでしょう? ……まあ、読まずとも、その心からは隠しきれていない、隠しきれない、感情が溢れ出るように吐露されていますが……。しかし、貴女が何も言いたくないというのでしたら、何も言わなくてもいいのです。私はただ、貴女の心の内を代弁するだけ。貴女の心を想起するだけ。貴女自身に、貴女の心を鏡のように映し返すだけ。それで貴女が苦しもうと、私には関係が無いのです。そう、関係無い、関係無い、関係無い。
 心――全く、心というのは厄介なものですね。何も思いたくない、何も感じたくないと考えても、それが無意識の内に表象してしまう。それ以前に、『考えたくないという考え』が浮かんでしまう。思考の矛盾、これはどうしようもないことなのです。考えるのを止めてしまったら、生物はそれでおしまいですから。――『人間は考える葦である』。そう言ったのは誰だったでしょうか……忘れてしまいましたが、まあ、誰が言ったのかなど些細な問題でしょう。葦なんて、確かに風雨に撓って耐えることができますが、その一本一本はあまりに脆い。人とて、妖とて、皆同じ。人は体が、妖は心が、壊れてしまえば戻らない。だからこそ、脳で考えることを生物は生み出した。そして思考の発展を繰り返し、科学的な発展を繰り返し、人間は隆盛を極めた。――あとは語るまでも無い、幻想の郷が生まれた話に続きます。
 さて、と。すっかり話が逸れてしまいましたが……何の話だったでしょうか。そう、思考の話ですね。考える葦であるということは、考えるからこそ人は他よりも優れている、という意味でもある。それを貴女は、今の貴女は、思考すらもおしまいにしようとしている。全てを終わりにしたくて、自分の生を終わらせたくて、自分の輪廻を止めたくて――だからこそ、ここに来たのですね。この地獄の果てに、溶岩が唸るこの地の底へ。そうでなければ、自分から地獄に来たりなどしません。自分から地獄に来るような真似をする者など、罪を犯してしまった神か仏か善人ぐらいです。
 そして貴女は、罪を犯してしまった悪人、と。
 しかし、残念ながら。誠に残念ながら、ここでは貴女の生を終わらせることは出来ません。理由は、貴女が一番理解しているでしょう? 何故なら貴女が不死だからです。死なないから、不死。生きていないから、不死。生きていないから、死なない。死んでいないから、死ねない。不死だから、死のない。全く不死とは辛いものですね……終わりが無いのですから。しかしそうなったのは、全て貴女のせい。自業自得というものです。自らの業を自らで得る。――因果応報、世界は須らくそのように回っています。情けは人の為ならずともよく言いますが、全ては自分に帰ってくる。万物流転、Παντα ρειです。世界は目まぐるしく回っている。たとえ、誰かがその世界の輪廻から外れてしまったとしても。人が一人外れたところで、世界は変わらず回り続けます。――そう、だから、貴女が死んでも誰も困らない。 しかし死なない。これでは堂々巡りです。
 だからこそ、貴女はここへ来たのでしょう? 罪を焼く為に、この地の底地の果ての灼熱地獄へと。しかししかし、残念ながら、重ね重ね申し訳ないのですが、その願望も叶いそうにありません。何故なら、貴女は不死鳥だからです。フェニックス、鳳凰……不死鳥にも種類はありますが、しかし貴女は幻想の者、混じり合っている。不死鳥であり、フェニックスであり、鳳凰であり、そして藤原妹紅である。不死鳥は自らの身を炎に投じて、その灰から復活する神獣です。即ち、この何者をも燃やし尽くす灼熱地獄を以ってしても、全てを灰燼と帰すこの熱く熱い灼熱地獄を以てしても、貴女を焼くことは叶わないのです。焼いたところで、その灰を新たな命として復活する。たとえその灰を燃やされても、貴女という存在を、貴女という物体を構築する物質全てが無に帰したとしても、何事もなく、滞りなく、貴女は元の藤原妹紅という存在に蘇る。
 貴女は、地獄さえも凌駕する力を持ってしまった。
 ――貴女は黄泉にすら逝けないのですね。もしこの地獄がコキュートスならば、その永遠の炎を永遠に氷漬けにすることができたのでしょうけど……いえ、貴女の炎ならば、コキュートスすら溶かし尽くしてしまうのでしょうね。悲哀することすら叶わず、そして最早、貴女に燃やせぬものは無い。――それならば、地上を焼き払ってみてはどうでしょう? 気分が晴れるかもしれませんよ……あら、冗談だったのですが……いい眼ですね、その絶望に苦しむ眼、……私には加虐的な倒錯の類はありませんが、それでも昔はよく見ていましたよ、そういう眼は。自己が曖昧になり、自分の存在さえわからなくなってしまった眼。光を失った瞳孔、焦点が合わなくなった瞳ほど、見ていて心が痛むものはありません。
 貴女の瞳には何が映っているのか……最早、心が読める私にもわからなくなってきました。
 ――私の存在は一体何なのか、ですか。存在、存在、存在……。その答えは、『無い』なのではないでしょうか? そもそも貴女は、元から望まれて生まれた子ではないのでしょう? 貴女の過去が、貴女の歴史が、貴女の想起が、そう告げています。そう泣いていますそう訴えていますそう嘆いていますそう諦めていますそう言っています。だとしたら、何故貴女はその過去を大事にしようと思っているのですか? ――これは、慧音が守ってくれた歴史だから? ……そう、なるほど。それが、貴女が慕った者の名前なのですね。上白沢慧音、かみしらさわけいね、カミシラサワケイネ……あっという間に貴女の思考を埋め尽くしてしまった彼女は……そう、歴史を操る者、だったのですか。そして貴女は、自分の歴史を守ってくれた彼女が自分を好いてくれたと思い上がってしまったのですね。
 ………………………………………………………………あら、今まで屍のように動かなかったというのに、たった一言貶しただけで、まるで息を吹き返したように生き返りましたね……でも、胸倉は掴まないで下さい。痛いのはあまり好きではありませんし、それに、服が破けては敵わないですから。……それにしても、死人を貶しただけでそこまで怒りを向けなくても、いいのではないですか? 貴女の心の中が読めてしまう私のことも考えてください。まるで槍のような怒りが、私の意識に突き刺さって今にも気絶してしまいそうなのですよ……嘘ですが。
 しかしながら貴女の中では、彼女という存在が大きかったようですね。そうでなければ、こうして絶望することは無かったのですから。大切なものほど、失くした時の痛みは大きく、傷も深く、癒えにくいのです。そしてそれが、必ず失くなってしまうものであれば、なおさらです。信頼の糸も、親愛の糸も、敬愛の糸も、絆という糸は、死の一瞬で途絶えてしまう。どんなに想っていても、相手が、居なくなってしまったら、伝わらなくなってしまうものです…………いえ、私情が入ってしまいましたね。離別と死別は別のもの。
 と、いうことは、貴女は黄泉へと旅立った彼女の後を追おうとしているわけですか。なるほど、絶望ではなかったのですね。しかし、それはとんだ愚行です。――何が愚行だ、ですか。貴女はまるで理解していない。理解しようとしていない。

 死人を追いかけることが、その者の為になるとでも?
 
 死ねないのならば、貴女の生自体が贖罪でしょう。過去の罪が消えないのならば、その彼女が貴女の過去を愛してくれたのならば、そして貴女がその過去を背負いと決めたのならば、選択肢は、一つだと思いますが。……まあ、私には何も言う権利はありませんから、貴女が今さら何をどうしようが構いません。元々、その体を灼熱の炎の中に投げ込む為に来たのでしょう? 地獄の底で、精神諸ともその身を焼き尽くす為に。ならば案内致しましょう、あちらが、灼熱地獄への入口となります。万が一、精神が焼け焦げて屍体だけが残っても心配はご無用です。ここには屍体集めが好きな猫がいますから。死んだ後のことなど、杞憂というものです。……あら、そっちは出口ですが。
 ――――そう、ですか、貴女がそう思うのでしたら、私は一切手出しはしません。来る者拒み、去る者追わずの地底世界ですから。
 確かに終わりのない生は苦痛かもしれません。しかし同時に、限りのない希望をも孕んでいます。死なないのならば、いつかは死ぬ方法を得ることも、出来るかもしれませんよ。……出来得るならば、貴女とはもう出会うことがないことを祈ります。それでは、




――さようなら」





































〜あとがき〜

 いつかの追懐、灼火語らず。
 そして彼女は今日も生きる。





モドル

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