慧音と妹紅と唐揚げと。



 ††


「それにしても悪いね、夕飯までいただいちゃって」
「いえ、竹林の中で餓死されては困りますから」
 そう本心で心配そうに言う慧音は、土間に立って菜箸をカチカチ鳴らしながら油を見ている。今日は鶏腿の唐揚げ。衣は片栗粉だから、唐揚げというよりは竜田揚げかもしれない。
「だから死んでも死ねないんだってば」
「それでも、そう簡単に死なれては困ります」
「というか慧音……前々から言ってるだろ、その堅苦しい口調を何とかしてくれって」
「でも、妹紅は人間で年上で敬うべき人ですから」
「別に私はいいんだけど……」
「妹紅が良くても私が良くないんですっ」
 出逢ってからというもの、会話ではこの丁寧語口調が続いている。何度言っても慧音は、さっきも言っていた通り私が人間で年上で敬うべき人だと言って聞かないけれど、私はもう人間の輪廻から外れているし、年上といっても幻想郷に居る者は大抵長命だから別に敬われるほどでもない。むしろ、私は逆に慧音を敬わなければいけないというのに――。
「どうしました? いきなり考え込んでしまって」
 ふと我に返ると、慧音が私の顔を覗き込んでいた。猫が居たら丁度額で距離が測れそうな、それぐらいの距離。まじまじと見つめる慧音の赤みがかった瞳に、私の顔が映っている。感じる視線、感じる吐息、近い距離、近くない心の距離。
「……いや、何でもないよ。ほら、油使ってるのに火のそば離れちゃダメだろ?」
「うわあっと、そうだった」
 慌ててパタパタと慧音は土間へと戻っていく。肝心な時に慧音は抜けているというか、いわゆるドジっ娘だ。ずぼらとも言えるけど。ただ、いつも堅苦しく気を張っている分、こっちが本性なのかもしれない。
「妹紅、ちょっと手伝ってくれませんか?」
「ああ、いいよ。何をすればいい?」
 土間から響く快濶な声に立ち上がって土間へと向かうと、慧音が丁度油に衣を着けた鶏肉を放り込んでいた。さっきは気付かなかったけど、エプロンを着ていたらしい。普段の青いワンピースに白のエプロンが似合っている。
「付け合わせの甘藍を切ってくれれば」
「甘藍?」
「キャベツのことです」
「へー……」
 本当に慧音は何でも知っている。歴史は勿論のこと、本人にそれを言うと「歴史だけですよ」と謙遜するけれど、思うに知識の引き出しが広くて大きいのだ。
 包丁でキャベツを千切りにしながら、横目で気分良く唐揚げを揚げている慧音を見る。私よりも少しだけ小さい背丈。まあ胸は背に似合わず大きいけれど……。この華奢な身体で、里を守り抜こうと日々奮闘しているのだ。――たとえ半分妖怪だとしても、それでも人間の為に。
 まだ慧音とは知り合って短い。それでも良き理解者として、私の過去のことについても静かに耳を傾けてくれた。しかし、だからこそ、私は慧音の過去を知らない。慧音とて、里に人間として認めてもらうには様々な紆余曲折の歴史があったのだろう。半分、人間ではないのだから。
 どれほどの苦痛があっただろうか。
 どれほどの苦難があっただろうか。
 一人で背負い込むには、この背中は、この身体は、小さすぎる。
「ん、妹紅? 手を止めちゃダ……妹、紅?」
 だから私は、
 そんな彼女を、
 抱きしめたくなった。
 包み込むように、守り抜くように。
「も、もこう、どうしたんですか急に?」
 強張った身体、いつも守りたいと思っているから、いつも守ろうと努力してるから、守られることに慣れていない、小さな身体。
 青みがかった白く長い髪に顔を埋めてみる。さらさらとなだらかで滑らかな髪。抱き止めた身体は柔らかく、威厳を保っていてもまだ頼りないほど。
 里守であり、里の賢者であり、しかし彼女だって一人の女の子だ。
 里を守る者を、誰が守るのか。
 だから、

「慧音が人間を守りたいと思っているように、私も慧音を守りたくなった」

 私が、慧音を。
 その言葉に、慧音は腕の中でクルリと半回転して、私の方を向く。純粋な瞳、純真な心、純直な思い、想い。
「だ、ダメです、妹紅は、人間は、私が守るんです、だから」
「そうやって慧音は背負いすぎなんだよ」
 私はどういった経緯で慧音が里守として認められたのかは知らない。けど、けれど。里には頼れる男共もいる、博霊の巫女もいる、不本意だけど八雲のスキマ妖怪も里を守っている、それに、私だって、いる。
 里の平和を願っているのは慧音だけじゃない。皆が思っていることだ。だから――
「一人で守るだなんて思わないで、もっと周りに背を預けていいんだよ。支えてくれる人はいっぱいいる、それに」
 幻想郷でも路頭に迷っていた私に手を差し伸べてくれた。
 死なない人間の私でも分け隔てなく接してくれた。
 あの満月の夜も身を挺して守ってくれた。
 心優しき彼女は、いつも私を助けてくれた。
 だから今度は、私が守る番。
「慧音は、私が守るから。だから、わかった?」
 腕の中の強張った身体が解れていく。スッと寄せられた慧音の身体から感じる重みが、安心して私に心を預けてくれた証拠。それは、心と心の、信頼。
 そして慧音は、コクンと、一つ肯いた。
「あと、なるべく敬語は外すこと。いい?」
 肯いたまま俯いてしまった慧音の額を指で小突いて念押しする。敬語は、そう、距離を感じてしまうから――。
「……うん、わかっ、た」
 そう顔を上げた慧音の瞳は、吸い込まれそうな綺麗な朱で、
「よろしく、な。妹紅」
 そう微笑んだ慧音の笑みは、それはもう永遠に守り続けたいと思ってしまうぐらいに、珠玉の笑顔だった。
「あっ……唐揚げ」
 ふと思い出したように慧音は慌てて油から唐揚げを取り出す。取り出して油を切った唐揚げは焦げても硬くもなっておらず、見事な黄金色で、それはそれは柔らかジューシーに揚がっていた。
「フフ、大丈夫、別に炎を操る程度の能力とか持ってるわけじゃないけど、火の管理ならオマカセだよ」
 永く生きている間に身につけた妖術がまさかこんなところで役に立つとは自分でも思ってもいなかったけど、こんな大事な場面で唐揚げが焦げてたら全部台無し、慧音と美味しく唐揚げを食べて、それで今日は良い一日で終わらせたい。
 いつまでも続く今日を、良い日だったと思えるように。
「ありがと……な、なんか照れるな、これ」
 つんつんと唐揚げを突きながら、慧音が私が切って水に浸けておいたキャベツを盛り合わせる。私は丁度タイミング良く炊けたであろう竈のご飯を盛り付ける。
 なんか、敬語でしっかりしてる慧音もいいけど、素のけーねも可愛いな、とは口が裂けても言えないけれど、実際慧音は可愛いし、何故里の男共がこんな良い女を放っておくのか不思議でならない。……私が娶ろうかな、とか本気で考えてしまいそうになった。
「……妹紅? 全部口に出てるんだが……」
「……え」
 考えてしまったというか、口に出してしまったし。今さら口を押さえても後の祭り、しかしそれを見ていた慧音は思いの外楽しそうだった。そして、冗談半分でこう言うのだった。
「ふふ……だって、『慧音は、私が守るから』だぞ? もういっそのこと、妹紅に娶ってもらおうかな」
 こんなことを言われて嬉しくない男がいるだろうか、いやいない。ついでに私は女だけど。それでも、さっき言った言葉は本当で、絶対だ。
「……私で良ければ。永遠に守り抜いてみせるよ」
「でも、たまには私にも妹紅を守らせてくれよ?」
「それは前の満月の時にやってくれたじゃないか。白沢にまでなって」
 そう、あの時も人知れず慧音は守ってくれていたのだ。そのことに感謝しなくてはいけない。
「あの時は個人的に動いたまでで……いただきます」
「いただきます」
 二人で食卓を囲んで晩飯を食べる。献立は、白御飯に唐揚げとキャベツの千切り。質素な食事でも、慧音と一緒ならどんなものでも美味しく思えてしまう。
「紅い霧の時も、春の雪の時も、月の夜の時も、慧音は里を守ろうと頑張ってたじゃないか。それに加えて私まで……ん、美味しい」
 慧音渾身の唐揚げを頬張る。サクッとした衣の食感、その衣に包まれた鶏腿の弾力ある歯応え。鶏肉もジューシーで、噛むとジワリと滲み出る味がたまらない。
「それは今日、里の酉坊に戴いたんだ。新鮮なヤツだ」
「酉坊かー、アイツ前に竹林で迷ってたのを助けた記憶があるな確か」
 竹林は私の庭みたいなもの。迷い人を送り届けるのも最近の仕事になっている。仕事というよりは趣味の範疇だけど。
「流石、紅の自警隊の面目躍如ってとこだな」
「あれは稗田のが勝手につけた二つ名で……。まあ、竹林のことなら誰にも負けないけどさ」
 ふと、竹林に居座ってから何年経ったのか指折り数えてみた。ただ、足の指を加えても数え足りないほどには暮らしていると思う。竹林に迷い込んで、誰も訪れない竹林を住処にして、何度餓死したことか……、そしてついに輝夜を見つけて、アイツを殺すことだけを考えて――それは怨恨、それは憎悪、それは復讐――でも、慧音と出逢って、全てが変わった。
「……私はさ、慧音に感謝してるんだよ?」
 吐露するように、私は呟く。
「罪を背負って彷徨って、幻想郷まで辿り着いて、それでも生と死の輪廻から外れた私を、復讐の炎に自ら燃やされていた私を、当たり前のように人間として迎え入れてくれて……」
 三界の狂人は狂せることを知らず、
 四生の盲者は盲なることを識らず、
 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、
 死に死に死に死んで死の終りに冥し。
 何度生き返っても何度死に返っても、自分はもう人間ではないと思っていた。輪廻を外れ、人の道を外れ、幻想からも外れ、
 だから、

「だって、妹紅は、人間として、生きてるだろう?」

 慧音のその言葉は、胸の奥、生にも死にも見放されてもなお生と死の柵に雁字搦めに縛られていた心に、スッと、優しく沁み込んだ。
「ああ……そうだな、私は今、人間だ」
 言葉にするとわかる、人間という重み、人間でいることの辛さ、そして、人間であることの、幸せ。
 生きて死ぬのが人間、ならば死なないのなら生きていない私は人間ではない。
 そんな理屈さえも、吹き飛ばしてしまうほどの、箴言。
 込み上げてくる何かを飲み込むように、一気にご飯を呑み込んで立ち上がる。
「あ、後片付けは私がやるからなっ」
「あ、うん、頼む」
 まだのほほんと唐揚げを箸で摘んでいる慧音に――本当はゆっくり食べないと消化に悪いのだけど――そう告げて、部屋から出て縁側へと身を隠す。
 涼しい風、熱くなった目頭を、厭に冷やしてくれる。

 ああ、どうしてだろう、
 守る、そう決めたのに、
 逆に、慧音に守られて。
 その、包み込む言葉は、
 心を、深く揺さぶって、

 涙が、止まらなかった。



 ††













〜あとがき〜
 その唐揚げの味は、忘れられないものになりましたとさ、めでたしめでたし、とはいかないけれど、そう、物語はめでたしめでたしで終わるけれども、人生はその後も死ぬまで続く、死以外エンドが無くて、でも妹紅には死が無い、逆に言うと死なないということは生きていないということに繋がるけど、結局それは認識と意識の問題、彼女を人間と認めてくれる人間がいれば、彼女は人間なのです、そこに理由なんて、必要無い。
 二次のタメグチもいいけど、儚月抄の敬語けーねもいいと思います。妹紅視点の慧音の話なのに、最終的に妹紅の話に。『慧音と妹紅と唐揚げと。』でした。
 ああ、唐揚げ食べたい。





モドル

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