柳緑花紅、流觴曲水 〜Questo mano〜



††

  昃れば 春水の心 あともどり     ――星野立子

††

 川に人形が流れている。
 厄災や穢れを、形代である人形に移して水に流して清める、流し雛だ。毎年この時期になると、ここ妖怪の山でもこうして川に人形が流れ始める。
 否、私が流している。
 人間から集めた厄を人形に渡し、笹舟に乗せて川に流して、八百万の山ノ神に厄を祓ってもらう。幾度となく繰り返してきた、厄をため込む程度の能力を持つ厄神としての務めだ。
 いつから繰り返してきたのか、自分でも分からない。
 いつまで繰り返していくのか、誰にも分からない。
 滔々と流れる川の水は長い時を経ても変わらず、ただただ人形を乗せた笹船を流れのままに運んで行く。永遠に途切れない、不思議な水の輪廻。
 くるりくるりと、人形が揺れる。
 ゆらりゆらりと、人形が回る。
 考えたところでどうしようもないことを思いながら、息で手を温める。
「……寒いなあ」
 草木が芽生え始める季節に差し掛かるというのに、今日は一段とよく冷える。霜も降りたのだろうか、これでは一度芽吹いた草花も萎んでしまうだろう。
 春告精はまだだろうか。そんなことを考えていると、頬に冷たい何かが当たった感触がした。
 空を見上げてみる。なるほど通りで冷えるわけだ。

 雪が、降っていた。

 灰色の空から、ふわりと真っ白な雪が、幻想的に舞い降りていた。
(冬に後戻りかあ……)
 座っていた岩に雪が降っては融け、そして滲みになって消えていく。今はすぐに融けてしまうけれど、夜を越せば一面に降り積もることだろう。
 手を伸ばしてみる。掌に舞い降りた雪は、体温で刹那の間に融けていく。まるで、幻想のように、命のように、あまりに儚く。
 握って開いた掌にはもう何も無く、虚空だけが広がっている。
 人形から厄神となり、無機物から血が通った身体へと変わった手。
 この手を掴んでくれる人は、いない。
 隙間風が心の中にまで吹いてきたのか、少し寂しい気持ちになる。
(――『雛は大事な人とか、いないの?』)
 ふと、心に思い浮かぶのは、彼女の声。
(――『もしいたとしても、一緒にはなれないわ』)
 私は厄神。人の厄を溜める者。厄を纏う身で愛しき者の手を握ったら、その愛しき者は不幸になってしまう。
 だから、私は、ずっと独り。
 この手を掴んでくれるものは、いない。
 この手で掴むものも、いない。
 それが、厄神としての、運命(さだめ)。
 寂慮の思いを乗せた溜息は、澄んだ外気で白く色づき、そして消える。本当に溜め息を吐いたら幸せが逃げるのだろうか? どうせなら、厄のように逃げた幸せも集まってくれればいいのに、などと耽りつつ空を見上げ、


「ひーな」
「!!」


 そしてそこには、私の顔を覗き込んでいたにとりがいた。
「やっほ、雛、何してたの?」
 視界で蒼いツインテールが揺れている。いつもの服に、いつもの鍵の首飾り、そしていつものリュックサック。河城にとり、通称『谷カッパのにとり』、種族・河童、職業・発明家。そして――私の大事な人。
「い、いつからそこに……」
 全くの青天霹靂。上を向いたら大海嘯(ポロロッカ)。未だに心臓が激しく脈を打っている。果たしてこのドキドキは、驚悸(きょうき)のものだけだろうか。
「ん、今来たばっかりだけど。寒くない?」
「だ、大丈夫、寒いのは慣れてるから」
 にこやかに笑うにとりにそう言って、目線を横に逸らす。恥ずかしくて目線を合わせられないわけではない。これ以上近づかれたら、この子が厄に呑まれてしまう。だから、距離を取らなきゃいけない。そう、この子に厄が移っちゃいけないから私は避けてるんだ。そうなんだ。
「でも、まさかまた雪になるなんてね〜。こんな寒いとモーターの冷却液が凍っちゃってさー、おかげで可動軸がちょっと曲がっちゃったんだよ。不凍液にするの忘れてたよー……」
 機械はにとりの得意分野。彼女に修理を頼めばお手のもので、機械の話を始めたらしばらく止まらない。私は機械のことは門外漢だけど、目を輝かせて楽しそうに話しているにとりを見ていると私まで笑顔になってしまう。
「冬は空冷でも問題無いかもなー、外気冷たいし……って、ごめんね雛、つまんない話しちゃって」
「ううん、その話面白いわ…………くしゅん」
 身体は正直、我慢していてもやっぱり寒いものは寒いらしく、柄にもなくくしゃみをしてしまった。
「ほらー、やっぱり寒いんじゃんか。手、握ろうか?」
 氷のように冷たくなっている私の手を、にとりは握ろうとする。それと共に疼き出す、行き場を無くして誰かに乗り移ろうとする厄。
「――だめ」
 私に近づこうとするにとりを振り払う。
「それ以上近づいたら、にとりに厄が移っちゃう」
 厄は新たな厄を引き起こす。この身に纏う厄がにとりに移ってしまったら――
「だから……「ひーな」
 言い掛けた私の言葉を遮るように、にとりが仁王立ちで声を上げる。
「雛と一緒にいれることは私の幸せ。雛と手を繋いだら不幸になるなんて、そんなの誰が決めたのさ?」
 その眼は、真っ直ぐに私の姿を映していて、
 その声は、真っ直ぐに私の心に染みわたる。
「厄の不幸なんて、この幸福に敵いっこないよ」
「にとり……」
「ほらっ、いくよ雛」
 そう言い放ち、含羞みながらにとりは改めて私の手を握ってくれる。
「……うんっ!」
 溢れそうになる涙を堪えて、私はその手をしっかりと握り返す。
 今まで誰の手も繋がなかった、繋ごうとしなかったこの手。その繋いだ掌から伝わってくる、温もり。
 その温もりを阻もうとする厄は、静かに虚空へと霧散する。にとりの想いか、私の願いか、何が厄を退けたのかわからない。それでも、私は願う。
 この幸せが、いつまでも続くようにと――

 手を繋ぎ歩いていく二人を見送るように、厄を乗せた笹舟がふわりと流れていった。


††












〜後書き〜
 雛祭り用に書いたにと雛SS、でも完成したのは3月4日。乗り遅れた感満々。まだまだニヤニヤ度が足りないのと、後半の二人の心情・距離感の表現がまだ甘いのが課題。それにしてもにと雛いいねにと雛。






モドル

inserted by FC2 system