夏メロポインセチア 〜CooleR pOiNsettIa〜
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いくら不死でも、暑いものは暑い。
だから、
「あー……冷てぇ」
「はーなーせー!」
蒸した夏の空の下、妹紅はチルノを抱いていた。
太陽は燦然と鋭い日差しを放っていて、まるで慧音のスペルのようだと、藤原妹紅はあまりの暑さで溶けそうな頭で、そう思った。
太陽という光源から放たれる、日射というレーザー。そのレーザーに被弾してしまったら最後、延々と暑さに魘(うな)されることになる。
「あっつー………………………………」
現に、こうして暑さに茹だっているのだが。
額に滲んだ汗を袖で拭う。胸元
眼前に臨む霧の湖は、熱気で水面がゆらゆらと揺れている。その熱気の向こうには、吸血鬼の住まう紅い館が建っている。茫漠とした視界、茫漠とした意識。不死でも暑さには敵わない。
今は丁度木陰に腰を掛けているから、多少なりとも涼しい。それに、
「離せって言ってんでしょうがー! うがー!」
「いいじゃない、抱かせてくれるぐらい……あー冷やっこくて気持ちひい」
氷の妖精を抱いているから、暑さが紛れて気持ちいいのだった。
稗田のから借りた幻想郷縁起に載っていたように、氷精の周りはいつも冷たいらしく、その通り、こうして抱いているだけでも冷気が体を冷やしてくれる。
ただ、
「あーもーどっかの誰かは知らないけどさっさと離せー!」
抱き抱えている氷精・チルノが、少々騒がしいのが難点かもしれない。
逃げまいとしているチルノを逃がすまいと押さえ込んでいるのだから仕方ないが、その声さえも気にならない程に、チルノの冷たさが体に染みた。
「じゃあここで問題、顔は猿で胴は狸、手足が虎で尻尾が蛇な動物ってなーんだ?」
「えっ何その動物すげえ……ってそういう問題じゃなーい!」
気を紛らわせる為に出した謎掛けに、チルノは諸手を挙げてウガーと唸る。それでもなお、その小柄な体は妹紅の腕の中にすっぽりと収まっていて、今は羽も萎れて窄まっている。
「……離してよ、お姉さん」
段々とチルノの声は弱くなっていく。何かに困惑してるかのような、何かを憂慮しているかのような、薄氷のようにすぐに割れてしまいそうな声。
「じゃないと、お姉さんが凍傷になっちゃうよ……」
そう言われて、妹紅は初めて痛みを感じた手を見る。
その手は、既に赤紫色に変色していた。
幻想郷縁起には、『氷精の周りはいつも冷たいらしい』とも書いてあったし、そして『触ると凍傷になる恐れがある』とも書いてあった。それでも、妹紅はいくら怪我をしたって死ねば治ってしまう不死の身だ、このくらい、なんてことはない。
「あたいは氷の妖精だから、触れたらみんな凍っちゃう……」
その泣きそうな声は今にも自然の音に掻き消えそうで、しかし抱き抱えている今の状態では、チルノの顔を窺うことが出来ない。
「なあ、」
「……?」
唐突に、妹紅は話しかける。
「妖精ってさ、寒いのが苦手なんだよね、確か」
「……そうだよ。あたいは氷精だから寒い方が好きだけど」
妖精は自然が具現化したもの、そしてあらゆる自然は冬を忌避し、冬の象徴でもある氷もまた、あらゆる自然から忌避される。
寒いから。
ただ、それだけ。
しかし、自然が具現化した彼女には、
妖精として自我と意思を持った彼女には、
それは、苦痛になる。
なってしまう。
たとえそれが、自然的で普遍的で正常的であっても。
「そっか。じゃあ、ずっとひとりぼっちか」
その問いに応えは無く、ただ一回、チルノは肯いた。
「なら、私と一緒か」
誰に話しかけるでもなく誰に問いかけるでもなく誰に確かめるでもなく、妹紅はそう呟いた。
無理難題を父親に吹っかけた月の姫への逆恨み、それを発端に紆余曲折を経て、蓬莱の薬を飲んで不死となった妹紅。
不死は、不生。死なないということは、生きていないということ。生きていないから、成長もしない。何年経っても何十年経っても何百年経っても死なず変わらない人間がいたら、どうなるか。
向けられる奇異の目。
向けられる嫌悪の心。
向けられる悪態の声。
愁訴の声は届かない。ただ『気持ち悪い』の一言で振り払われ、妹紅は一人で生きることを余儀なくされた。
たった独りで。
何百年も。
「だからさ、お前さんが独りでいる寂しさ、わからなくもないよ」
チルノは妖精として力をつけ過ぎた。
妹紅は蓬莱の薬を飲んで不死になってしまった。
自業自得、なのかもしれない。
「でもさ……やっぱり独りは寂しいもんだよ」
妹紅には、手を差し伸べてくれた優しいヒトがいる。
どんなに追い払おうとも追ってきては人の名前を叫んで里に来いだのご飯を作りに来たぞだの生活全てに突っかかってきた、今となってはかけがえの無い無二の友人。
でも、チルノには、手を差し伸べるものが居ない。
触れたら、凍ってしまうから。
だから、妹紅はチルノを抱きしめる。
寒いからと嫌われた氷の妖精は、こうして心を通わせることも、体を寄せ合うこともできなかったのだろう。冷たい体、小さい体。抱いている妹紅の手は、もう細胞が壊死して黒く変色していた。
「お、お姉さん……」
ぽつりと、感覚さえも無くなってしまったはずのその手に、何かが零れ落ちる感覚がした。その雫が何なのかなど、チルノの顔を覗けなくとも解る。
「――よしっ、っと」
不意に妹紅は立ち上がって、夏の日差しの下に出た。抱かれていたチルノは両腕の間から転がり落ちて、仰向けに倒れこんだ。
「そこな氷のお嬢ちゃん、ちょいと見てな」
日射に当てられて溶けそうになって慌てて日陰に逃げ込むチルノに見せ付けるように、妹紅はその壊死して黒く変色した腕を掲げて晒した。そして、
ボウッ、
と、両腕が炎に包まれた。
紅蓮の不死鳥の炎が、壊死して黒くなった両腕を包む。肉が燃え、青白い燐光が紅い炎と混じる。不死鳥のように体を燃やしつくし、腕は灰となり、
そして、腕が新たに再生した。
「……ぁ、え、腕が!?」
まるで不死鳥のように、自らの体を荼毘に付して妹紅は再生した。感覚さえも失っていた腕は、何事も無かったように動いている。
「あんたら妖精がどんなになっても一日ぐらいで復活出来るように、私も死んでも生き返ることが出来る。チルノ、あんたが妖精の半端者のように、私も人間の半端者なのさ」
それに、と妹紅は言葉を続ける。
「お前、強い力を持ってるからって相手を見縊った態度とってるだろ。だから嫌われるんだよ。もっと相手と対等に向き合わないと」
対等に向き合うからこそ、伝わる想いがある。
「……うん、わかった」
「まあ、これも私の実体験みたいなもんだしな……慧音には感謝してもしきれないぐらいだよ」
上白沢慧音。
里守、賢者、そして白沢。
彼女とであったからこそ、今の妹紅がある。
「慧音って……里に居るボイン?」
「なんでボインで覚えてるんだよ……合ってるけどさ」
ふと、視線が合って、二人はふふふと忍び笑いをする。
「なあ、チルノ」
「何?」
「お前、最強目指してるんだってな」
「そう! 何を隠そうあたいがこの霧の湖のトップに君臨するチルノ様だよ!」
「そうかそうか……じゃあ、自称焼き鳥屋の私を倒してみろ――!」
言って妹紅は、勢い良く霧の湖に飛び出した。背に炎の翼を生やし、水面ぎりぎりを飛翔する。その後を、チルノが氷柱を繰り出しながら追う。
「氷付けになって死んでも、恨みっこ無しだよっ!」
「残念! 私は死なないからな!」
「それはあたいも同じだよっと!」
夏の日差しを反射する霧の湖に、楽しそうに弾を繰り出し弾を避けて駆け回り飛び回る影が、二つ。
死なない人間と、死の概念が無い妖精の、不思議で愉快な弾幕ごっこ。
そして、一際大きな水柱が上がり、楽しそうな断末魔が湖に響いたのだった。
††
モドル
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